ある美少女の日記


この日記は 百合SS Advent Calendar 2022 の 二十三日目向けにまとめたものですが、結局年末になりました。


ある美少女の日記


12/01

酒を飲んでいたら、この日記の存在を思い出したので適当に書いてみる。

久々に日記ファイルを開いたら、最後に更新したのは一年前。とはいえ、その年もは箇条書きでいくつか書いただけでほとんど中身がない。スーッとスクロールして見てみると、最後に真面目な中身を書いたのは二年前の冬だった。まだ私が大学院にいて、ちょうど修士論文を書いていた時期だ。
あの頃は、論文を書くと称してカフェに籠もっていたのを思い出す。毎回昼過ぎに入って作業をしようとするも、論文が嫌で他事に逃げてしまっていたっけ。この日記を書いていたのもその一環だった気がする。そして暗くなってからようやく焦りはじめ、リモートで実験を走らせながら論文を書いたりしていた。当時は既にコロナ禍だったものの、いつも通ってた店だけは遅くまで営業してくれていてありがたかった。カフェですらやる気がなかなか出ないものだから、背後にベッドのある自室なんて椅子に座ることすら難しかったのだ。

なんて、今となってはどうでもいいけれど。

酒を飲むと段々と書く気力が薄れてきてしまった。でもなんか過去の日記読んでたらイラッとしたし、明日も書いてみようと思う。当時の自分の「つらい」と今の自分の「つらい」は比較できないけど、それでも読んでいると「甘えてんじゃねー!」と言いたくなってしまうような、そんな感じだ。

12/02

飲みすぎて肝臓が痛いんで明日。南無。

12/04

一日くらいは誤差でしょ。童顔小柄ツインテール美少女の私のやることなんだから許されてしかるべき。

というわけで日記を書く。久々すぎて何書いたらいいか分からんけど。

昔の自分の日記を見ると、よくもまあほぼ毎日ペラペラと書けたもんだなと感心する。当時観たアニメとか読んだ本とか、果てはウェブサイトの感想まで載せてるよ。暇なんかな。暇だったんだろうな。まあ今も言うほど忙しいかって言われるとそうじゃないんだけど。

大学生までは「大人というか社会人になったら、忙しくなっていろいろやれなくなる」と考えていたが、それは間違いだった。リモート勤務の今と比べれば、朝の一コマから講義が入ってた学部生時代の方がよっぽど忙しかっただろうし。
大人になって変わったのはあくまで周囲の環境だけ。結局は心の持ちようという話になる。

とか言いつつ、私も言い訳して日記をサボってたわけだが。論文書き終わってから発表とか引っ越し準備で忙しかった時期はあったにせよ、春先には落ち着いてたはず。残業があったとて労基のない大学院生よりマシなんだから、日記くらい書けないわけない。じゃあなんで書けなかったのかと考えてみると……充足感ってものなのか、書く欲求が減ったというか。日記とかに求めていたものが形を変えて仕事で消化されてしまっているというか。それが良いのか悪いのかは分からない。

12/09

昔の日記を改めて見返してみると、記憶というものは都合よく脚色されているんだなと改めて驚いた。
何となく「良かったよね」くらいに思い込んでいた過去も、当時の生々しい感情を綴った日記によれば実態が全然違っていて、読んでからようやく「そういえば」と思い出したり。そういう場合、大抵は現実側がネガティブだ。つまり私たちの脳みそには『思い出したくもない嫌なことを自動的に忘れて、良き思い出風フィクションに改ざんしてくれる便利機能』が入ってるわけだ。しっかり覚えていたつもりでも、意外と記憶が書き換わっているのは軽くホラー。人間って怖いね。

だからこそ、日記は大事なんじゃないかと再認識した。当時の自分やその考えを残しておこうと思ったら、もはや自分自身すら信用できないということだから。大事な記憶がアテにならない以上、ふわふわしない記録として文字で日記をつけておくことは有効だろう。
しかし、ずっと地続きであるはずの記憶よりも、断片的な文章でしかない日記の方がリアルだなんて。皮肉というより、むしろロマンティックだ。

逆に言えば、日記にファンタジーを織り交ぜたとしたら、それは数年後の自分にとって「リアル」になっている可能性がある。程度によるだろうけど、もう真偽は分からなくなってそうだし。フィクションがリアルになる瞬間は、存外そういうときなのかもしれない。

12/12

一人暮らしを始めて二年になると、流石に夜の過ごし方も慣れてくる。

最初の頃は、日中から夜中まで仕事含めガムシャラだった。夜に張り切って自炊しようとして包丁を握ったところ、小指を切り落としかける大怪我をしたのが懐かしい。入社直後だったせいで諸々ややこしかったものの、深夜に病院に駆け込んだおかげでちゃんとくっついて完治したのは良かったっけ。左手の小指が今でもキレイなのは、テンパってなんJに立てたスレに「とっとと病院行け」とレスをくれたJ民たちのおかげだ。

話を戻して、夜の過ごし方。まず自炊については、焼きそば、餃子が鉄板。理由は安さと便利さ。生餃子ならおよそ百円、袋の焼きそばなら百八十円ほどで一食を調達できる。フライパンと油さえあれば数分で調理できるのもポイント高い。退勤後に料理を始めると面倒な料理は作る気力が沸かないので、この二つは外せない。もちろんこれだけだと飽きるので、定期的に惣菜の油ものや刺身を混ぜている。普段が安上がりな分、そういう惣菜を買うことへの抵抗感は薄い。
ちなみに野菜は小袋にパック詰めされたやつを買っている。最初の頃は頑張ってキャベツを玉から切り出していたが、シンプルに面倒だった。無駄にデカいのもイケてない。個包装の百円サラダの方がタマネギとかいろいろ入ってるし、時間とか取り回しのよさを考えるとコスパがいいのだ。

そんなこんなでご飯を作って食べたら、酒を嗜む。飲む酒の強さはその後にやりたいこと次第。例えばアニメ鑑賞の場合、SFであればチューハイかビール、ラブコメならウィスキー。この歳になると強めの酒なしでラブコメを観るのは苦行。が、酒が入るとそこそこ面白かったりする。まあ、私はツインテール美少女だから。ゲームも同様で、ノベルゲーは弱い酒でもいいが、JRPGはそれなりに強い酒を要する。
一方、技術系の作業をするときはチューハイとかビールみたいに度数の小さいもの以外は厳しい。チューハイの場合、檸檬堂とかよりもほろ酔いの方がいい。度数が高いと眠くなるしやる気が奪われがちなので。強いのを飲んでやる気喪失+入眠のミスを何度やったことか。
ちなみに、文章を書くときに酒は無理。精神的な負荷が高い作業なんで、酒で少しでもやる気やコンディションが悪化すると終わりなんだな。コードを書くくらいまで日常の一部になれば話は別なのかもしれないけど、その境地はまだまだ遠い。

娯楽や作業を終えたら、お待ちかねのバスタイム。最近は入浴剤にハマっていて、その日の気分で入れる粉を変えている。ただし効果があるのかは分からない。気分だよ気分。
スマホが防水対応なので、念の為のキャップをつけて風呂場に持ち込んでいる。気分がいいときは冷蔵庫から酒を持ってきて、湯船に浸かりながら飲んでみたり。温まりながら酒を飲み、スマホで動画や文章を眺めるのは至福と言わざるを得ない。健康があーだこーだとか言う人間もいるっぽいけれど、風呂で酒を飲むのは日本の文化だろって思う。享楽あっての健康ですから。

風呂の後は寝るだけ。寝付きはいいのであんまり書くことがない。

12/18

昨日、好奇心から歌舞伎町を見学しに行こうと思い立った。愛と欲望の街、アニメやゲームでしか見たことのない世界。ちょっと怖い気もしたけど、言っても近くには人通りの多い道があるし、最悪走れば助かるはず。だから美少女の私でも大丈夫……と、高をくくっていたのかもしれない。
食パンを齧り、外套を羽織り、山手線へと乗り込む。土曜夜の車内は混雑していたが、平日とは違ってやや浮かれたような空気がある。

新宿駅を降りて、まずは散策。アパホテル前に着くと、大きなテレビジョンに広告がギラギラと映っていた。明日も休日ということもあってか、結構な量の人がたむろしている。これぞ東京だなあと感心。よく見渡してみると怪しげな地下のお店への入口も見えた。
さて、どきどきしつつ、より怪しげな路地へと足を踏み入れてみる。酔ったスーツの男に露出の多い女、下品に輝く扇情的な看板たち……ゲームの中でしか見たことがなかったホンモノの夜の街の中を、私はゆっくりと歩いた。

人々の熱気もあり、冬の寒さをまったく感じない。道行く人はみんな楽しそうだ。私も一歩踏み出せば、そっちの世界に行けるのかもしれないと思った。そんなことを考えているうちに、いつの間にやら人気のない狭い裏路地に入ってしまったらしい。薄暗い道の脇に積まれたゴミ袋が臭っていて、奥は行き止まりだった。引き返そうと思った時、

「よう、お嬢ちゃん」

ふいに声をかけられ、心臓が大きく跳ねる。背後に白髪交じりのおじさんが立っていた。サラリーマンとはまた違う、妙に高そうなスーツを着崩している風貌から、この人が只者ではないということがビンビンに伝わってくる。

「ダメじゃないか、店の裏手に入り込んじゃあ」
「す、すいません。散歩してたら迷っちゃったみたいで」
「いやー、困るんだよねェ。ちょっと話を訊かせてもらえるかな」

私の謝罪を聞き流して、おじさんはニヤリと笑みを浮かべながらこちらへ近づいてくる。

「えっ!? あの……」

突然の出来事に頭が追いつかず、その場に固まってしまう私。眼前に来たおじさんが、すぐさま私の手を握る。思っていたよりも強い力に叫び声を上げようとしたけど、恐怖でかすれた声しか出ない。ああ、こんなの嘘だ。美少女の手をこんな風に握っていいのは、恋人だけだって思っていたのに――

「おいお前! その子から離れろ!!」
「んだと――ガッ!」

私が抵抗を諦めようとした瞬間、誰かの声と共に背後から何かが飛んできて、おじさんの顔に当たった。カランと地面に転がったのを見ると、コーラの空き缶のようだった。おじさんが私の手を離して振り返ったところで、もう一本がおじさんの顔面に命中した。缶が飛んできた方向に目をやると、白いドレスに身を包んだ金髪の女の人が奥に立っているのが見えた。

「てめぇ……何しやがんだ!」
「そっちこそ、私のシマで何やってんだ? まさか、よその客を連れ込んでナニカしようとしてたんじゃないだろうな」
「……ちげぇよ、こいつが迷ってるのを見たから――」
「だったら私が案内する。部外者はとっとと出てけ」

女の人がぴしゃりとそう言うと、おじさんはしばらく女の人を睨んだ後、舌打ちをして去っていった。

「ったく。怪我はない?」

おじさんの姿が見えなくなると、ドレス姿の女の人が早足で近寄ってきて、優しい声で話しかけてくれた。

「はい、ありがとうございます。助かりました……」
「良かった。でもさ、あんたもそんなカッコでこんな道来ちゃダメでしょ。ハイエナが多いんだから、命がいくつあっても足んないよ」
「ごめんなさい」
「はあ……ほら、立って。駅まで送っていくよ」

女の人はため息をついて、私の方に手を差し伸べてきた。

「いえ、大丈夫です。一人で帰れます」
「遠慮しないでいいよ。あんたみたいな可愛い子を放っておけないしね」
「……」

近くで見ると、女の人の顔は本当に端正でモデルみたいに綺麗だった。そりゃ、こんな街で生きているんだから当たり前なのかもしれないけれど。ドクンドクンと心臓が脈打つ音がする。胸が少しきゅっとして、ああ、これはきっと、恋の始まりなんだ。

12/19

上京してから何度か原稿を書く機会があったけれども、どれも無事に仕上げることができたのはカフェのおかげだ。

自分の性格もあって、自室だとなかなか筆が進まない。背後にベッドがあるというのと、リラックスしすぎの環境がよくないというのは薄々分かっている。もちろん本当に追い込まれているときは自室でもガンガン書けるけど、常に締め切りドリブンなのは疲れるし。書き始めてしばらく経って、ちょっと休もうと横になろうものなら負け確。その状態から持ち直せたことって一度でもあったかな。
思い返してみれば今までもこういうことはよくあった気がする。テスト前の「ちょっとだけ寝よう」「ちょっとだけ気分転換しよう」の誘惑とかね。アレに乗って良かった試しがない。逆に一旦集中しきってしまえば何時間でもやれるので、そこにどう自分を誘導するかが重要になってくるわけ。
だから背後にベッドがなく、適度なストレスのあるカフェは作業スペースとして理想的。毎回同じだと飽きて意味がないので、日や状態に応じて席や店を変えると効果が大きい。
ただ、コーヒーのカフェインで(精神面で)刺激に対して過敏になるケースがあったので、長時間作業する場合は飲み物注文のペース配分は大事。

最近だと京橋のコメダはアタリだった。一人席はだいたい空いてるし雰囲気も悪くない。ただ、今ではコロナ対策と称して短縮営業になってしまったので魅力半減。当分は行かないでおこう。

ちなみに、京橋のビル横にうろちょろしている鳩は品が良かった。背の低い植え込みの上に座って日向ぼっこをしているのは和む。

12/22

上京してからというもの、大学時代から仲がよい(と私は思っている)友人H+同じく仲間の上京組とドライブに行くことが多い。運転は車を所有しているHが概ねしてくれるけれども(ありがとうございます)、長距離のときは私がハンドルを握ることもある。帰省時以外ほとんど運転なんてやらないので、こういう機会はペーパードライバー回避という観点から割とありがたい。Hは乗り慣れていて運転がうまいので、定期的な路上講習と言えなくもないか。

ドライブの行き先としては、直近だと秋葉原まで買い物に行ったり、高尾山に忘年登山をしに行ったりもした。道中Hと話すことも多いけど、通話アプリで他の友人を交えながら話すのも楽しいんだな。渋滞とかがあってもかなり気が紛れるし。
「最近の中高生は宿題やテスト勉強を通話しながらやってる」みたいな話を聞いたことあるけど、すごく気持ちはわかる。精神年齢は高校生から進歩していないとみるべきか、今の高校生と同じくらいの若さや目線を持てているとみるべきか。あるいはその両方か。

行き先がないドライブも複数人だと楽しい。東京湾を謎に巡ってクソデカコンビニを発見したり、謎の海門にたどり着いて数分歩いた後、そのまま帰ったのも意味分かんなくて好き。
東京はランドマークへ行ってガヤガヤするより、夜のお台場の公園で友人とブランコ漕いだり、「あきる野の住心地を確かめる」と称してコメダとショッピングモールに行って満足するとか、そういう『楽しみ方パッケージの外』にあるものを探す方が楽しい気がする。

ただ、東京のいいところはこういうことを一人でもやりやすい点。カーシェアもそうだし、公共交通網が発達しているおかげでいろんなところに電車でも行ける。夜に一人でフラッと高尾まで行ってラーメン食べて帰るのも、中央線なら新宿まで一本だし。

家族とかできるとまた話は変わるんだろうけど。でも、このコロナ禍を通して『人混み≒人気スポットを避ける楽しみ方』というのも広まったのかなとは思う。

12/24

昼過ぎ。冬空の下、買い物を終えて帰路につこうとした時、駅前でふいに声をかけられた。

「ねえ、空を飛んでみない?」

声の主は、ネイビーのジャケットを着てスキニーなジーパンを履いた20代っぽい女の人だった。彼女の薄着は季節的にも周囲から浮いていたけど、その瞳はきらきらとしていて寒がっているような様子もなかった。いきなりの出来事に面食らう私に、彼女はもう一度問いかけてくる。

「飛ぼうよ、空」
「……私、クスリはやりません!」

二回目の問いかけでようやくハッとした私は、咄嗟にそう断った。本能的に身の危険を感じて、早足でその場から逃げ出そうとした……ものの、

「違うってば!」

彼女は素早く私の腕を掴んで、勢いよくぐいと引っ張った。

「わっ!?」

想定外の力が加わってバランスを崩し倒れそうになったところを、彼女に抱き留められる形で受け止められる。反射的に目をつぶってしまった私が恐る恐る目を開けると、そこには満面の笑みの彼女がいて――辺り一面が、真っ青になっていた。下を向けば、薄い雲越しに東京の街が広がっているのが見える。私はパニックになってその場で暴れたが、すぐに状況がおかしいことに気がつく。落ちているような感覚も、吹きすさぶ風も感じない。まるで、駅前で視界だけ塗り替えられてしまったかのようだ。

「ね、違ったでしょ?」

呆然と佇む・・私の背後から、そっと彼女が腕を回してくる。本来なら腕をはねつけて交番にでも駆け込むべきなんだろうけど、こんな場所ではそれもできない。

「あなた、何者ですか?」
「ただの人間だよ」
「嘘です! じゃあどうして……」

私が言い終わる前に、彼女はこちらの頬に手を添えてきた。反射的にキッと彼女を睨んだが、本人はどこ吹く風でくすくすと笑っている。

「君はもう知っているはずだよ。この世界には、たくさんの不思議があるんだってことを」

そう言って微笑みかける彼女の瞳の中には、空の青と私だけが映り込んでいる。その表情と景色があまりに綺麗だったので、私はついつい見惚れてしまった。そして、瞳の中の景色に吸い込まれていくような感覚がして、

気がつくと、駅前に戻ってきていた。彼女の姿はもう見えない。天を仰ぐと、晴れ渡った昼下がりの青空が広がっていた。

12/30

酒というのは怖いものである。

つまり「記憶が断片的になるほど日本酒を飲んではいけない」ということだ。

12/31

今日は大晦日。実家にて久々に眺めたテレビでは、どのチャンネルでも浮ついた番組を垂れ流していた。

改めて考えてみると、新年を祝うというのも不思議な話だ。月が変わったからといって祝うことなんてしないし、会社で新年度になったからといって打ち上げをしたりもしないはず。自分の誕生日すら、おめでとうという声をかけてもらうくらいが普通だろう。でも年が変わるとなると、何やらすごいイベントであるかのように人はワイワイと騒ぎ始める。

「そういうものだから」と言われると、そうなんだろう。でも私は、人が新年を祝うのは「期待」……いわば「妄想」するからなんだと思う。

今年こそはいいことがあると願い、期待し、それが満たされたときの自分を妄想する。実際には全てが満たされることなんてあるわけないと分かっていても、人は妄想を止めない。きっと、今年こそはコロナ禍が終わってくれる。戦争も止まる。不合理な規制が消えて自由が広がる。そんな風に妄想を膨らませて、フィクションの中の新年を祝うのだ。

こんな風に書くと私が批判してるみたいだけど、別にこれを腐したいわけじゃない。むしろ、私は素敵なことだと思う。厭世主義では生きていけないし、死にたいと思って簡単に死ねるほど大半の人間は豪胆じゃない。だから、人は願う。期待する。妄想する。もちろん、それは私とて例外ではない。

グダグダと書いてしまったが、結局私が言いたいのは、

「どうか、よいお年を!」

来年は、幸せなフィクションが現実になりますように。