あるクマゼミへ、ごめんなさい
あるクマゼミに対して懺悔をしようと思う。
前置き。
幼い頃のトラウマがあって、私はセミの死骸を触ることができない1。
生きているセミは大丈夫なのだが、例えば彼らが掌の上で死んだふりをしようものなら、途端に彼らが恐ろしくなって放り出してしまうくらいには、セミの死骸が苦手である。
しかし、残念なことに、彼らの寿命は我々のそれよりもずっとずっと短い。最新の調査によれば、クマゼミに至っては最長で二週間程度しか生きられないようである2。そして、幼虫の彼らはせっせと地中から穴を掘って這い出てきては至るところで孵化をする。その結果何が起こるか。鳴き声で周りの音がかき消されるほどの多産と、地面に死骸が溢れかえるほどの多死である。
これが私にもたらす影響は極めて大きい。夏になると、私はいつも地面を向いて歩いている。なぜか。それは、セミの死骸がそこら中に転がっているからである。もしも目を下に向けていなかったのなら、たちまち彼ら(の亡骸)の一つや二つを炸裂させてしまうだろう。私は死骸に触れるという観点からもそういった事態は避けたかったし、何より、虫とは言えど同じ地球に生まれた生物の同胞として、その死骸の尊厳を毀損するのは避けたかったのである34。
前置き終わり。
さて、恥を忍んで告白しよう。本日、私は意図せずともセミの尊厳を侵してしまった。
大学の敷地内を移動中――それは大きな木の近くの道路であった――落ち葉に紛れていたとあるクマゼミの死骸を、ついに踏んづけてしまったのである。
その時私は、研究室のサーバーの設定について考え事をしており5、明らかに注意が欠如していた。前方不注意である。セミのピークも去り、死骸数も目に見えて減ってきていたのが不注意をさらに増幅させていたのかもしれない。とにかく、足の裏に独特な抵抗を感じた時には、既に遅かった。
一瞬の後、今の感覚はもしやと慌てて後ろを振り返ると、オレンジ色の胸部と黒色の胴体が――自分の歩いた経路の上にぼとりと落ちていたのが見えた。
ああ、やってしまった。幸いなことに原型は留めているようだったが、私はとうとうセミを踏んでしまったのである。
踏んでからこの記事を書くまでにしばらく時間をおいたものの、足の裏には、当時の感覚がまざまざと残っている。まるで少し硬めの木の実を踏んだような、若干の軟らかさと何かが潰れかけたことを知らせる音のフィードバックが――脳裏にこびりついて離れない。これが私への Punishment なのだろうと思う。
申し訳ない気持ちと畏怖の念で一杯である。
思えば、私は昨日夢を見ていたのだ。ベッドに仰向けで寝ている私がふと横を見ると、壁際のゴミ箱のそばに転がるセミの死骸が、足を交差させたままこちらをジッと睨みつけてくる、という夢であった。
あまりに恐ろしくて、目が覚めた時には呼吸が乱れていたのを覚えている。あの夢は、もしかすると、今日このような事態が訪れることの暗示だったのやもしれぬ。ただ、夢に出てきたのはアブラゼミだった。今日踏んだのはクマゼミである。予知夢にしては精度に疑問が残る。では、あのアブラゼミは――ああ、ひょっとすると、私のトラウマとして生き続ける彼が警告しに来てくれたのかもしれない。もしそうだったとしたら、私は……。
改めて、あのクマゼミに謝罪を申し上げる。
踏んでしまったクマゼミへ。本当にごめんなさい。あなたが天に召されたその先で、幸せに後世を過ごしてくれることを願っています。
そして、夢で警告しに来てくれていたのが私のトラウマの中にいる彼だったのであれば、彼にも謝罪をしなければならない――君という存在がいながら、私はまた失敗した。申し訳ない。言葉もない。君が私を誹るなら、甘んじてそれを受け入れよう。そして改めて、私はセミを踏まないよう一層注意するようにしよう。君の最後の姿への贖罪には決してなり得ないが、ちっぽけな今の私にできるのはそれくらいしかないのだ。
この話はいつか別の機会に。 ↩︎
『セミ成虫の寿命1週間は俗説! 笠岡高植松さんが生物系三学会最優秀賞』, 山陽新聞, 2019年6月発行(2019年8月30日 閲覧) ↩︎
なので、自宅のベランダや敷地内にセミの死骸が転がっているのを見ると、棒状のものを駆使して近くの庭や空き地にその骸を持っていく。 ↩︎
カッコいいことを言っているが、単純に死骸と同じ場所にいたくないという事情も多分にある。 ↩︎
Sambaで構築したActive Directoryのドメインにクライアントを参加させることなく、SSSDのLDAP連携機能を用いてユーザー情報を同期させる(ADユーザーでログイン可能にする)設定を行っていた。また、NFSやSambaをコンテナで実行するためのSELinuxのポリシー作りや動作の検証も行っていた。ちなみにいろいろハマった。需要は少なそうだが、暇があれば別途技術記事として書こうと思う。 ↩︎