ギブアンドテイク


ギブアンドテイク


今日も夜の帳が降りた。

スポットライトは憂鬱と共に海の向こうに沈み、寂しく黄昏を見つめていた人々は、とぐろを巻く夜の闇へと静かに飲まれていく。
……と、書いたところで、思わず笑ってしまう。

ほのかな不安を抱えながら起床して、昼間は努めて真面目に生きて、夕方にはほとほと疲れ切って。
そうして、夜はパジャマ姿でマグカップ片手に一日を回想して――ああ、日中はなんであんな無駄に真剣になっていたのだろう、なんて考えてクスクスと笑う。
それが夜だ。少なくとも、私にとっては。

夜になると幾許か恐怖を感じる、と言う人は多い。先が見えないことに対する恐怖。気持ちは分かる。
けれども私に言わせると、何事も明瞭に分かってしまう、分からざるを得ない日中の方がよっぽど怖い。

日中に得た感情や思考は、そう、きっと正しいのだろう。活動的な時間帯だ、個人差はあれど、眠気のある時間に得たそれとは質が違うのは確かだと思う。
だからこそ恐ろしいのだ。仮に日中の思考によって自分が否定されたとすれば、その日はずっと最悪の気分だろう。
絶え間ない自己批判。激しく論理が組み立てられては分解されていく感覚。これを乗り越えるには強靭な精神が必要だ。私の精神力では到底耐えられない。

では、夜はどうだろう。夜になると頭に薄い靄がかかって、じっくり考えられることが減ってしまう。これは残念なことだ。
けれどもその一方で、日中考えていた心配事もグッと減る。もし寝る前にうっかり自分を否定してしまったとしても、なに、そのままぼんやりと寝てしまうだけでいい。一日中苦しむことはない。

さて、そう考えてみると、何というか、得したような気分にならないだろうか。
つまり私が言いたいのは――ただの一進一退も、言い換えればギブアンドテイクということだ。


「おはよー」

……こうして、温い布団の中で他愛もない思考を巡らせていると、ようやく彼が起きてくる。
彼は元気がよくて、いつも笑顔で、楽しそうにしている子だ。
私は毎日、彼と会うのを楽しみにしている。

彼を見ているだけで私も楽しい気分になってくるし、こんな夜は最高に幸せな時間なのだと、現状に一切の疑いを持つことがない。
目の前にいる彼も、楽しそうにクスクスと笑っている。

「今日は、何して遊ぼうか」

囁くように、彼が私に尋ねてくる。首下に彼がいる。スゥと吐く息がくすぐったい。柔らかさと、心地よさと、懐かしさで体が包まれていく。
ぼんやりと、丸みを帯びた暖かい感情が私を満たしてくれる。

彼の方を見やると、彼もまた、こちらを見つめてきた。

楽しそうな顔だ。
期待をしている顔だ。
夢があり、人生に希望を見出している顔だ。

それはきっと、昔の私の顔なのだと思う。

それからしばらくの間、彼と一緒にあれこれ遊ぶ内容を考えてみて、いいや、この子には実体がないのだと真面目に考えたりもして――やっぱり、お互いにクスクスと笑って。
希望を抱くことのできる時間が、どうして終わりを迎えるものか。私が私でいられる時間が、どうして終わりを迎えるものか。

現状に一切の疑いを持つことがない。
それでも、唐突に、私は意識を失うのだ。


朝になると、目覚まし時計の代わりと言わんばかりに、得体のしれない不安が私の起床を設定してくれる。
おまけに胃が空であることを主張してくるし、気分は安定しないことが多いし、いつまで経っても人生と世の中は先行き不透明だ。

隣を見ると、もう彼の姿はない。寝に行ってしまったらしい。
子供の頃は彼と一緒に起きていた。彼だけは今も昔も変わらない。
もう一度、日中の明瞭な時間に彼と遊ぶことはできるだろうか。

――ギブアンドテイク。彼と一緒に起きることができなくなった代わりに、私は一体何を得たというのだろう。

できれば、ひどくバカバカしい内容であって欲しいと思う。そうすれば、もう一度、彼と日中にクスクスと笑い合えそうな気がするから。